中國園林情報

蘇州で神亀石組の存在実証される

  日本の古庭園は、その多くが中国伝来の蓬萊神仙思想をテーマにしています。その造形として蓬萊山を表現した、亀石組や亀島が作られました。この亀を正しくは鼇(ごう)と言います。それは神話世界の生き物であり、神亀とも言われています。これは巨鼇(きょごう)が蓬萊山等の神山を背負っている姿で、これを「巨鼇負山(きょごうふざん)」といいます。中国ではこれまで、神亀石組は日本独自のもので、中国園林には存在しないと考えられてきましたが、この度吉河会長記述の論文『「巨鼇負山」伝説の問題点及び園林の神亀石組造形』 (庭研419号/会誌『庭研』概要参照)が発表され、蘇州園林中にもそれが実在することが明らかにされました。ここでは蘇州園林を代表する名園中にある、代表的な神亀石組造形を紹介します。

〔留園〕「冠雲峰」の神亀石組

「冠雲峰」は、蘇州園林中でも最大の蓬萊山を表現した太湖石で、高さ6.5mもあります。その台座として用いられているのがこの神亀石組で、東側(写真右手)に明らかな鼇頭を組んでいます。このような台座を、一名「鼇座(ごうざ)」とも言います。この名峰は東園にあって、その中心的な建物である「林泉耆碩之館(りんせんきせきのかん)」の北から眺めるように据えられています。

冠雲峰全景。後部の建物は「冠雲楼」

冠雲峰全景。後部の建物は「冠雲楼」

〔獅子林〕の「蓬萊山」と鼇座

園池の中央部に組まれた小岩島ですが、ここに太湖石の台座としの明確な「巨鼇負山」形式が見られます。現在は西側 (写真左手)池中に鼇頭が見えておりますが、実は現在の池は水位が40㎝近くも高くなっており、鼇座が水中に没しているのです。しかし、今から百年ほど前に撮影されたモノクロ古写真が保存されていて、それには見事な全景が写されていますから、これが明らかな神亀石組であることが分かります。その写真も紹介しておきました。

水没している蓬萊山と鼇座の現状

水没している蓬萊山と鼇座の現状

獅子林の古写真より

獅子林の古写真より

〔拙政園〕の出島にある鼇頭表現

蘇州で最も名高い本園は、明代からの伝統を引き継いだ様式を今に伝えています。園は、東園・中園・西園と三つに区分されており、その中心が中園です。ここは明代庭園の特色でもある庭石「黄石」を用いた石組が目立つのですが、その池畔にある岬のような部分に、黄石によるこの神亀石組があります。これまでに注目した人は無かったようで、どの解説書にも書かれていないようですが、鼇頭であることは明確で、他に例のない貴重な実例と言えるでしょう。

出島の先端にある神亀石組(鼇頭)

出島の先端にある神亀石組(鼇頭)

[ 2021年4月2日 ]

「天香小築」の造形特色

世界ではコロナ禍がなかなか終息しないが、中国ではかなり改善されてきた様子で、封鎖されていた蘇州園林もすでに開かれているという連絡があった。しかし現状においても、蘇州園林の拝観はほぼ不可能である。それは何故かというと、中国当局が現在外国人の入国を認めていないのである。正確に言えば、在日の中国人でも同様で、要するに海外からの入国に制限を設けているということ。入国がまったく駄目なのではないが、その場合は2 週間の隔離( 行動制限) が必要で、その後に活動が許される。しかし問題は、中国がビザなし入国15 日間という優遇措置を現在停止していることである( 日本も同じく停止中) 。とにかく2 週間も行動制限があるのでは、事実上中国国内を歩く余裕はない。そんな状態なので会長も今年は園林調査を諦めている状態である。そこでこのコーナーでは、蘇州とその近郊の珍しい園林について会長の豊富な写真資料から3 庭ほど紹介して頂くことにした。
今回の園林は、蘇州市内の隠れた園「天香小築」「遂園」の2 庭と、西北郊外の虎丘にある「西溪環翠」の曲水を見て頂くことにする。いずれも一般公開されているが、意外に知られていない園林と言えよう。前二者は中華民国時代の作で無料公開であり、後者は虎丘を拝観( 有料) すれば見られるが、その復元的作風の曲水を知っている人はごく少数のように思われる。

蘇州城内を南北に走るメインストリートが人民路で、その中央部から少し南寄りの東側に、立派な蘇州図書館が建っている。本庭はその南側にあって、図書館の園とも言えるが、実は園の北側に後年図書館が建てられたのであった。一般にはあまり知られていない。園自体は中華民国22 年( 1 9 3 3 ) に建てられた席家の園であり歴史は新しいが、邸宅の東部に展開する亭台楼閣のある倣古式( 古い様式を取り入れた意) 園林である。長らく蘇州市人民政府関連の施設になっていたので、かなり荒廃も進んだが、修復後公開された。動物に似た形の太湖石があることで知られ、また鋪地(ほち)の美しさにも特色が見られる。近年鋪地がやや傷み気味なのは惜しい。

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「天香小築」の築山と六角亭

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「天香小築」園路の色彩豊かな鋪地

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「天香小築」邸宅部の円洞門

[ 2020年9月4日 ]

「遂園(すいえん)」滝のある園林

蘇州市城内のほぼ中央西部に景徳路があり、その南に蘇州児童医院の大きな建物が見える。この病院内に「遂園」はあるのだが、この園に気付く人は案外少ない。本園は清代末期の作で、役人慕天顏という人がこの地を入手し作庭したものであった。一名を「慕家花園」とも言う。清末の洋館が今も残されており、建物と池泉の間に大きく太湖石を主体とした築山がある。洞窟の景も一つの特色となっている。しかし何と言っても珍しいのは、西部に高さと幅のある滝が落とされていることで、蘇州園林としては非常に貴重である。蘇州では近年作庭された公園には滝が見られるが、古典的な園林にはほとんど例がない。それは城内がほぼ平地だからで、清末になるとやっとポンプアップにより滝が落とせたのである。愚見では「獅子林」の数段の滝くらいしか思い浮かばない。他に六角亭や、旱船もあるので、楽しめる園と言えよう。なお景徳路を隔てた北側に、名高い「環秀山荘」があるのも嬉しい。

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「遂園」築山と鋪地の景観

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「遂園」水音を響かせる滝は稀少な例

[ 2020年9月4日 ]

「西溪環翠(せいけいかんすい)」の流觴曲水

蘇州城外の名所旧跡と言えば、まず第一に上げられるのが“ 江南第一塔” と称せられる「虎丘斜塔」のある虎丘山一帯であろう。塔を中心として数々の見所があり、一山をくまなく見学するには、どうしても半日は必要になる。
その中心にある斜塔は、正しくは「雲巌寺塔」と称し、禅寺に建立された八角七重磚塔で唐代末期建立の古塔である。この虎丘山西側に、近年蘇州市園林緑化管理局によって作庭されたのが今回紹介する「西溪環翠」である。
ここには珍しくも「流觴曲水」の流れが復元された。「流觴」の「觴( しょう) 」とは盃のことで、日本でも古く行われた盃流しの宴「曲水宴」の意味である。時々宴の体験も出来るらしく、流れの岸辺にクッションを置いて座し、盃が流れてくるまでに一編の詩を作るのである。ここからは虎丘塔も遠望されるので、蘇州訪問の際は是非この園にも足を延ばして頂くことをお勧めしたい。

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「西溪環翠」曲水の上流。赤いクッションに座す

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「西溪環翠」建物の彼方に虎丘塔を望む

[ 2020年9月4日 ]

修復公開された「柴園」

蘇州城内南部醋庫巷 44にある園林。浙江の人柴安圃の邸に清代末期光緒年間に完成した園である。その後荒廃し蘇州市盲聾学校の敷地になっていた。吉河会長が 2002年に蘇州で出版した『蘇州園林写真集』には、その当時の様子が載せられている。近年になって蘇州市人民政府が学校を他に移して修復改造を加え、2016年 12月に完工した。推定復元の部分もあるが、蘇州伝統の技法が存分に駆使されているので見所も多い。建物群の全体は「蘇州市教育博物館」とされ、本園は当博物館の園という位置付けになっている。園の主要部は西側で、見事な「旱船(かんせん)」を中心とした園景が好ましい。

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立派な「旱船」( 舟形の亭) の景

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「旱船」前、東部池泉

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左から太湖石・樹木・空窓

[ 2020年3月27日 ]


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