庭研便り

『夢窓疎石 日本庭園を極めた禅僧』を読んでの所感

    2005年4月、NHKブックスから発行された『夢窓疎石 日本庭園を極めた禅僧』枡野俊明著、を読んだ。しかし、最近これ程読破するのに苦痛を感じた書物はない。私達は、これまで庭園史というものを真剣に追求し、おかしな先入観なしに研究してきたつもりである。そこでも最も問題の多い旧説として、「夢窓疎石作庭説」があることを主張してきた。その結果、「夢窓疎石が大の愛庭家であったことは真実といえるが、その作庭家説は誤りである」との結論に達している。
 しかしこの旧説は、現在でも文化庁はじめ、多くの庭園関係者に信じられている。ただ面白いことに、具体的に夢窓疎石の作庭を実証した研究というものは皆無なのである。ほとんどの人が「昔からそういわれているから真実であろう」という位の認識で、作庭家と信じているに過ぎない。この程、枡野俊明氏によって著された同書は、何の批判もなしにそのような旧説を認めたもので、研究を何十年も遅らせる類のまことに恐れ入った書であった。タイトルからして「日本庭園を極めた禅僧」というのだから、頭から作庭家説を肯定していることは明らかである。そして本文を読んでみると、どこにも夢窓疎石が作庭を行ったという事実の証明はない。こうなると、すでに信仰の領域に入っているとしか言いようがない。
  枡野氏も、同書において多少の文献は取り上げているが、それらはいずれも私達が精査したものばかりである。その文献は夢窓疎石が大の庭好きであり、施主として庭園についての好みを述べていることは分かるが、作庭指導を行ったと考えるのは誤りなのである。ところが枡野氏は、「夢窓国師は、石立僧と呼べるだろうか。広義に解釈すれば立派な石立僧であるが、庭園をつくることを職業のように特化していた人物であるかというとそうではない。」(同書一八五頁)としている。こんなことは当然の話で、夢窓は禅僧であり、しかも当時の宗教界では最高位にいた人物である。この事実をもってしても、作庭の専門家ではありえないのである。ところが枡野氏は「このようなことから、国師は庭園デザイナーのみならずプランナーでもあり、演出家でもあったといえる」(同書一九六頁)と記している。そのあまりの飛躍ぶりには、ただ驚きあきれるばかりである。
  枡野氏の文献解釈にも問題が多い、一例を挙げれば『臨川家訓』にある「仮山水」の語を「枯山水」と解釈されているが、仮山水とは今日で言う庭園と同義語であり、決して枯山水を意味するものではない。文献は正しく解釈しなければ、誤りを助長する結果になってしまうものである。

掲載日:2016.03.23


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